10年前海のつどいでトイレを3日間我慢したお話

・はじめに

 蒸し暑さで夜過ごしにくい季節となりました。最近何も考えずにぼーっと生きてるので、そろそろ叱られそうです。

そんな中で本日イオンモールから帰る途中に思い出した、海のつどいでの出来事について喋らせていただこうと思っております。なぜこのタイミング?と思われる人もいるとは思いませんが、実は10年前が中1であり、もう時効であると思ったからです。

早速書かせていただきます。

 

・1日目

 まず海のつどいには行きたくなかった。その理由として和式のトイレだったらどうしようと考えてたからである。今でこそ大鶴で鍛え上げられたため、和洋関係ないのだが、当時の自分にとって和式は入院中に管を通されるよりも嫌いな物であった。

そしてこの嫌な予感は的中したのである。実習先である江田島青少年交流の家に到着していの一番にトイレを見た。和式であった。この時にトイレを3日間我慢することを胸に誓った。

 初日の内容は行進と飯ごう炊さんである。あの暑い中ただ何も考えず行進することは日体大以外では何の意味があるのか今でも謎である。大体1時間半ぐらい意味のない行進をした後に待っていたのは飯ごう炊さんである。みんなで飯を作り、食べることは楽しいし、今だったら大歓迎なのだが、いかんせん衛生管理が怖いもので、もう既にトイレに行きたくなってた私にとっては、「腹を壊すのではないか」という不安があった。しかしその不安は現実には起きなかったため、まだ耐えた。こうして1日目はちょい行きたいなーで終わった。

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・2日目

 2日目の朝を迎えた。この日からが地獄であった。

まず知らない山口県の中学生と一緒にラジオ体操をするという謎行事を終え、朝食に向かったのだが、まさかの全食バイキングである。普通なら腹が痛い時は量を減らすのが普通であるが、当時中1にして60kg近くあり、だいぶ肥満児に近かった私は量を調整することができず、もえあずジャイアント白田の如く食べ物を頬張ってしまった。その結果一気に下り龍が訪れた。今思えばストッパー持っておけば良かったと後悔している。

 2日目はカッター訓練であった。これがまた地獄であった。まず職員の爺さん連中が怖すぎるのである。すぐに怒鳴るのである。その怒鳴り声でトイレに行きたくなってしまう。そして当時肥満児体型だった私は見た目的に力がありそうと思われたのか、1人の爺さんに「もっと力入れろ」と何回も怒鳴られたのである。しかし当時パソコン部であった私に力があるはずもなく、ましてやボートを漕ぐ櫓を持つだけでヘロヘロだった私には地獄であった。そして漕ぐのにも腹筋を使うため、その動作で腹がまた痛くなった。これが1番の地獄である。

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 そんなこんなでカッター訓練を終えたのが、もうすでにトイレの限界は来ていた。まだ午後も始まったばかりである。だいぶ絶望である。がっこうぐらし!の1話を見た時と同じくらいの絶望感を感じていた。

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 そして夜もバイキング。坂上忍もびっくりである。

だいぶお腹の方は限界に来ていたが、「食わなきゃやっとれん」という気持ちから、またしてもリミッターを解除してしまった。機械族でもないのに。

そして案の定腹を余計に壊してしまった。あまりにも単細胞である。今でも情けないと思っている。しかし我慢すれば自然に引くだろうという考えから、トイレに行かずそのまま寝た。だいぶ命知らずであると思っている。

 

・最終日

 最終日となる3日目。この生活ともおさらばできるという気持ちとなんか痛み引いたなという思いから油断が出来てしまったのか、また朝食のバイキングを多めに取ってしまった。本当にただのデブである。そして食べ終わった後全く引いてなかったことに気づく。

 そんな状況で3日目に訪れたものはドッチボール大会である。腹に当たったら地獄である。その場で大失態を引き起こし、2度と学校には行けなくなるだろう。そんな思いから考えた案はすぐに当たって外に出る。という案である。すぐに当たって外に出れば、特にやることもなく、外野に来たボールは連携プレーのように奥の人に渡せばそれらしい動きに出来る。と考え実行した。当たる場所も重要である。胸や腹に当たるのは拷問に近いものであるため、肩や腕に当たった時の衝撃を少しでも和らげる。当時13年間生きてきてここまで考えたことはなかっただろう。

 そんなこんなで無事ドッチボール大会も終え、あとは帰宅するのみなのだが、この帰宅が1番の地獄であった。なんせ江田島から府中までは1時間以上かかり、途中の音戸大橋のところは特に遅く走るので、余計に長く感じた。その間も腹はギュルギュル鳴り、いつ大失態を起こしてもおかしくない状況になってしまった。そして終点である府中まで後15分ぐらい、マツダ本社の近くらへんで担任である沓木大先生が急に立ち上がり、何を思ったのかいきなり喋り出したのである。その話は一切入ってこなかった。

そして終点に着き、いの一番に走り、家に向かった。その時のスピードは中学生の中で紛れもなく1番のスピードである。鬼のようにインターホンを鳴らし、すぐに開けてもらい、すぐトイレにこもり、無事に一命を取り留めたのである。

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・終わりに

 この経験からトイレは行きたい時に行かないといかないと、後で取り返しのつかないことになるかもしれないよ。ということを学んだ、、、はずなのだが、去年部活から帰るために深草から瀬田間のスクールバスに乗った時も似たような状況に陥り、大失態をかましそうになり、バス降りてバス降り場の近くのトイレで一命をなんとか取り留めたため、多分学んでなかったのだと思う。多分こんな経験は2度と出来ない、いやしたくない10年前のお話でした。

 次は5年前の高3の話でも書こうか思います。

 

                    おわり